院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


シンドラーのリスト

 

「シンドラーのリスト」。言わずと知れたスピルバーグの代表作で、アカデミー最優秀作品賞に輝いた珠玉の作品です。無一文で町にやってきた野心家の男(オスカー・シンドラー)が、持ち前の狡猾さと度胸で工場を起こし、ユダヤ人の安い労働力と冷徹な合理主義で、ひと財産を築く。が、いつしかシンドラーはナチスの非人道的な行為に反感を持つようになり、私財を投げ打ち、ユダヤ人会計士シュテルンとともに、ユダヤ人労働者の強制収容所送りを阻止するため奔走するというのが大まかな映画の内容です。主人公の心理描写の曖昧さや、ヒューマニズムと残虐性の安直な対比などが、歴史的実話に基づく力強さ(強引さ?)に救われた感は否めませんが、この「シンドラーのリスト」をして、わが心のマスターピースとなりえた場面は物語の最後にやってきました。

いよいよシンドラー自身にも身の危険がせまり脱出する時が来ました。その時彼は自分自身を振り返ります。私はというと、このユダヤ人の救世主に自分自身を重ね、財はなくしてしまったが、たくさんの人を救った充実感に酔い、有頂天になっていました。彼は悲劇の歴史のなかで、人間の尊厳を守り通したヒーローとして「私の戦いは終わった」というようなニヒルな台詞をつぶやくのだろう。そんな私の予想はみごとに裏切られます。彼は慟哭し悔恨の涙を幾重も流すのです。「この車を売れば、このバッチを売ればまだ何人かのユダヤ人を救えた。私にもっと財産があれば、もっと力があれば、もっともっとたくさんの人たちを救えたのだ。」彼は自分の心の奥底に巣くうエゴイズムにおののきながらも、守るべきは富や名声ではなく、命そのものだと気づくのです。自分のしてきたことは何ら特別なことではなく人間として当然のことだと我々に訴えるのです。

私たちは、医師としてたくさんの患者さんの病気を治し、時には命を救うかも知れません。でもそれはあたりまえのことなのです。「もっと私に力があれば、もっと経験があれば、知識があれば」と自問・自責しながら一人一人の患者さんを大切に診ていきたいなと思う今日この頃です。

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